ながらすたいる bixlix.com

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ながら族とマルチタスクって似ているようで似ていない

ながらとマルチ

 

 ながら族とマルチタスク

 

「ながら族」は死語になっても「マルチタスク」はまだ現役のようだ。

 

「ながら族」と言えば、深夜にラジオを聴きながら勉強に励む姿が思い出される。私もながら族だった、勉強に励んでいたかどうかは別にして、流行りだったので深夜にラジオを聴いていたことは間違いない。この場合は「聴きながら」というよりは「聞き流しながら」と言ったほうが適切だろう。

 

同時に2つ以上のことを行うことを、昔は「ながら族」で今は「マルチタスク」と言う。マルチタスクには「族」が付かないのは、元々はコンピューター用語だからだろう。実はコンピューターが一度に処理できるタスク(作業)は1つだけであり、高速に処理するのであたかも複数つまりマルチに処理しているよう見えるだけだ。

 

ながら族

 

かつては「ながら族」が良くないことの代名詞にように使われていた。大体において「族」という言い方は、マスコミや既存の習慣にどっぷりつかっている人が新しい習慣が登場した時に否定的に使うことが多い。同時に複数のことをすることを「ながら〇〇〇」と称して使っているのをよく目にしたり耳にしたりする。

 

「ながらスマホ」「ながら食い」というようにだ。なぜ「ながら〇〇〇」が悪いのかと言えば注意力が散漫になり、本来目的とすることが行えないということだろう。集中しなければ目的を達成できない、集中した方が目的を達成するのが早いという考え方である。

 

マルチタスク

 

一方で「マルチタスク」は否定的な行為ではなく、主に仕事をしている時に使われる。並行していくつかの作業を行うことをマルチタスクと言っているようだ。自分の仕事をしながら顧客の相手もし、さらに上司や後輩の発言に耳を貸して反応する。「マルチタスク」は一度に複数の作業ができる、複数の仕事ができると評価されることが多い。

 

私がサラリーマンだった頃はまだ「マルチタスク」とは言わなかった。ただ複数の仕事ができる人という類に分類されていた。マルチタスクをしているようでそう見えている時はほとんど自分の仕事はできずにいた。自分の仕事はサービス残業で行うという毎日だった。この話はいずれお話しすることにする。

 

コンピューターも人間も一度にできることには限りがある。私の場合はほとんどシングルタスクの連続だった。ただひとつひとつの処理が速いだけだったと思う。速いのには理由があった。探す時間をなくす、思い出す時間をなくす、打ち合わせは結論から伝えるなどなど、時間効率を上げるように働いていたからだ。

 

 

 

ながらすたいるはながら族ともマルチタスクとも違う

 

「ながら族」は同時に行う、「マルチタスク」は速く行うという違いがある。同時に行う場合は無意識に行っていることが多い。ラジオを聞き流しながら勉強しているときはラジオから流れてくる音声や音楽には意識が向いていない。ラジオの音という心地よい環境が存在するだけだ。

 

「マルチタスク」はそうはいかない。仕事に無意識はあり得ない、常に意識をして働かなければならない。意識をしていなければミスをしかねない。仕事はミスがない前提で行われるので、ミスが少ない方が早く正確に目的を達成できる。「マルチタスク」ができる人は、複数の仕事、作業をしているようで一時点ではひとつのことしか行っていない。

 

さてブログのタイトルの「ながらすたいる」であるが、「ながら族」のながらでも、「マルチタスク」のマルチでもない。同じ時間に2つのことを考えたり行うのではなく、「生き方」としての考え方であり行動の仕方である。

 

いきなり「生き方」と話が飛んでしまったが、「生き方」を持たずに結果的に「ながら族」や「マルチタスク」になってしまうことが多いのではないだろうか。「生き方」にはいくつもの生き方があり、これからお話しするのは「生き方」の中での「ながらすたいる」である。(つづく)