「ながらすたいる」は仕事もちゃんとしながら暮らしもちゃんとすることを目的にしている。さらに仕事と暮らしともうひとつ、自分らしいことをしよというのが「ながらすたいる」が意味する生き方だと考えている。
マルチタスクはマルチではない
同時に複数の仕事・作業をこなしている状態を「マルチタスク」というようだが、本当に同時に行っているのだろうか。人間の活動は物理的に限られているのでマルチタスクのように見えてもマルチではタスクを処理することはできないはずだ。
仕事・作業を細かく分けて、素早く仕事・作業を次から次へと処理してるのだろう。つまり細かく分けたひとつひとつの仕事・作業のスピードが速いこと、これがマルチタスクのように見えるのだろう。
仕事と作業を分けて考えると、作業につついてのマルチタスクはわかりやすい。体を使う作業は肉体的に限界があるので同時に複数のことを行うには限界がある。
ところが頭を使う作業は頭の中が見えないだけに考える単位を細かく分けていることがわからない。なので次々と作業をこなすことが同時に行っているように見えるのだ。
仕事を早く済ませたいときは
「仕事を頼むときは、一番忙しい人に頼め」という例え話がある。忙しいほど効率よく仕事をしているというのがその理由とされている。果たしてそうだろうか。
忙しそうに見える人は、その人自身が持つ処理能力を超えている規模の仕事量があるので忙しくなるはずだ。なかには処理能力を向上させるために、段取りを変えたり、他の人に依頼したりなどいろいろな工夫をする能力を持つ人もいる。
工夫する能力を持ち合わせている人であれば、忙しい人に頼んだほうが早く終わるだろう。もし工夫する能力のない人に頼むとオーバーフローして仕事は滞ってしまう。
ヒマそうにしている人にも2通りある。処理能力がなくて本人の努力に関係なくヒマそうに見えてしまう人と、処理を分散するなどして処理能力を高めたためにヒマそうに見える人だ。
忙しいと仕事をしている気持ちになる
「あー、今日はよく働いた」と思ったことはないだろうか。仕事に集中し忙しくしていると、仕事をしたという満足感と気持ちの良い疲れを感じることがある。
忙しいかったり集中すると快楽物質のドーパミンでも出るのだろうか。フロー状態に入るという説明を見たこともある。一度この満足感や快感を感じると癖になる人もいる。
仕事で忙しくなることから、忙しいと感じるためにに仕事をするに変わってしまう人もいる。スケジュール帳にめいっぱい予定を書き込み、それらをこなすことで達成感を味わう人だ。
かつては「ワーカーホーリック(仕事中毒)」と言われていたが、今風に言えば「多忙依存症」とでも言ったほうがわかりやすいだろう。
人生後半戦になっても多忙依存症?
日本では一生懸命・一所懸命という言葉がもてはやされる。決して悪いことではないのだが、度を過ぎるとプレッシャーになりストレスを感じてしまうことになる。
ストレスには良いストレスと悪いストレスがあるといわれるが、良いストレスでも過度のストレスは悪いストレスになってしまう。
「多忙依存症」は日本人には美徳として映ることもあるが、必ずしも体や頭、とくに心には良いことではない。たいていは30代で収まるのだが、人生後半戦まで引きずってしまう人もいる。
定年退職後に仕事がなくなり張り合いがなくなってしまったという人は、仕事依存ではなく多忙依存だったのかもしれない。時間の使い方も人生前半戦と後半戦では変えなければならないのだ。
人生後半戦はゆとり世代を見ならおう
もし人生後半戦になってもスケジュール帳にめいっぱい書き込んでいる人であれば、末期多忙依存症かもしれない。そういう人はゆとり世代を見ならってはどうだろうか。上から目線ではなく客観的に観察すると多忙依存症から抜け出すヒントがあるように思う。
(つづく)