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実働2日 × 週休2日 × 学遊2日 × 自由1日 で残りの人生を生きていく

人生後半戦はゆとりを持って生きる

人生後半戦はゆとりを持って生きる

 

年をとるにつれてスピード感がなくなるものだ。体の動きにスピード感はなくなっても、頭のはまだ若い者には負けないと思う人もいるかもしれないが、アレアレ、となかなか思い出さないことも多くなる。人生後半戦の時間を有効に使うためにはスピードを上げるしかないのだろうか。前回の多忙依存症のつづきから考えてみよう。

 

 

 

 

多忙依存症はスケジュール化してしまう

 

人生後半戦になっても多忙依存症から抜け出せない人がいる。依存症の次は多忙症候群、その次は多忙中毒となり、心が荒み、体を壊してしまうのでは、と思ってしまう。

忙しいのが好きな人の特徴として、どのようなことでもスケジュール化してしまう傾向があるように思う。仕事をする上では大切なことだが、スケジュール化にも落とし穴がある。

スケジュール化した手順で進まないとき、または突発的な出来ごとが起こったときに対応できなくなるのだ。すでにスケジュールがめいっぱいになっているところには「すき間」がない。

スケジュールを変更するか、中止にすればよいことなのだが、既存のスケジュールを早く済ませて新たなスケジュールを入れてしまう。そして更に忙しくなることに快感を覚えるのだろう。

 

人生後半戦に求められるのは量ではない

 

人生後半戦は量より質を求められる。20代30代は量>質であり、30代40代は量と質の両方、40代50代は質>量、というのが今までに仕事をしてきた感覚として残っている。

20代30代の量>質は、量をこなすことで質が上がるという考え方だ。40代50代の質>量は、量を生産する力が衰えるので少なくてもよいから質を上げるということになる。

では人生後半戦の50代以降はどうだろうか。圧倒的に質重視の年代である。最上の質ということではない。一定の水準以上の質を確実に生産することが求められ、量は求められない。

個人個人の力量によって水準は異なるが、この人に頼めば確実に一定水準以上のものが結果として得られるという「確実性」が求められるのである。

 

 

 

人生後半戦はのんびりではなくゆとりを

 

人生後半戦になると仕事のスピードは落ちる、さらに質の向上も頭打ちになる。ゆっくり、時間をかけて、ていねいに仕事をすることが人生後半戦の仕事の仕方に変わっていく。

ところが一定の水準の質が保たれるのであれば機械処理でもよいことになる。ここで機械でもできることなのか、それとも機械ではできないことなのかという判断がされる。

ほとんどの場合は機械でできる、ことが多い。質を求められるが故に、ゆっくり、時間をかけて、ていねいに仕事をする様子はのんびり仕事しているようにしか見えなくなるのだ。

人生後半戦の仕事の仕方を変える必要がある。忙しそうに仕事をしている人=仕事ができる人という既存の考え方を変える必要がある。のんびりではなく、ゆとりのある仕事の仕方に変えてみてはどうだろう。

 

ゆとり世代を見ならうという荒わざで

 

ゆとり世代とはゆとり教育を受けた世代で、いくつかの特徴がある。1.自分の価値観中心、2.デジタルネイティブ、3.人間関係が縦より横重視、などがある。

人生後半戦の世代には受け入れづらい特徴だろう。「自分の価観中心」は人生後半戦を迎えた人には特に考えてほしい特徴である。

「仕事の量と質」の考え方は組織としての価値観であって自分の価値観ではない。生活をするために、経済的価値を上げるために、今までは組織の価値観に従ってきたのだ。

これをいきなり自分の価値観を中心に変えろというのではない。人生後半戦を迎えたら「自分の価値観」について考えてみよう。自分の価値観に従ってすぐに組織を離れろ、好きなことをしろということではない。

 

自分の価値観を活かす方法を見つける

 

自分の価値観というのは自分では気がついていないかもしれない。自分の価値観について考えるためには、他の人が自分が持っている価値観をどのように思っているかを知ることから始めることもできる。

「私の価値観はこうなんだけど、どう思うか?」という直接的な聞き方もあるが、慌てることはない。それこそ、ゆっくり、時間をかけて、ていねいに考えればよいのだ。

(つづく)