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シンプルライフの時間と人間関係は〇〇〇から

シンプルライフの時間と人間関係は〇〇〇〇〇|ながらすたいる

 

前回は空間のゆとりについてお話しした。今回は時間と人間関係についてお話ししたいと思う。時間のゆとりは分かるが人間関係のゆとりってなんだろうと思う人もいるかもしれない。人間関係のゆとりほど難しいものはない。

 

 

 

 

日本人は時間に几帳面なのか

 

日本人は時間に几帳面だと言う人がいる。それは外国人が言うことであり、日本人が日本人のことを几帳面と言っているのではない。

日本人は時間どおりに行動する、時間を守って行動するという規範がある。この場合の時間というのは時刻を意味する。

日本人でも時間どおりに行動しない人もいるし、外国人でも時間どおりに行動する人もいる。どちらが自分に合っているかというと自分も日本人なので時間どおり派である。

ただ友人と待ち合わせて5分遅れても腹は立たないし、ましてデートであれば5分どころか1時間でも待つだろう。時間とは都合よく解釈できるのだ。

 

時間のゆとりという時間感覚

 

1時に待ち合わせたにもかかわらずに遅れてきた場合は何分まで待てるだろうか。またどのくらいなら遅れても許してもらえると思うだろうか。

前述の通り、時間に対する考え方は本人に都合よく解釈できるので、例えばプラスマイナス5分というように自分の中でゆとりを持っているだろう。

ところが当事者だけではなく多くの人に関わることはプラスマイナス5分では考えてはいけないという暗黙の了解が日本人にはある。平等と均一を好む日本人ならではである。

同じタイムゾーンで暮らしている人は同じ時刻は必要であるが、同じ時間間隔を保つ必要はないし、持つこともできない。

シンプルライフで考える時間のゆとりとは、自分と当事者同士の時間のゆとりということである。時刻と時間の使い分け、ゆとりを含めた時間感覚の使い方には注意しなければならない。

 

 

 

人と人は支えあっているのか

 

最近では「つながる」という言葉が持つ意味以上に個人がつながっている状態が多くなっている。本人が意図する、しないにかかわらずつながっている状態が続いている。

これは科学技術の発達による情報のデジタル化の結果であり、いつでもどこでも、時間や空間を超えた社会現象のひとつとして受け入れるしかないのだろうか。

そのむかし、金八先生が「人という字は、ひとりの人がもうひとりの人を支えている字です」と言ったとか言わなかったとか。意図するところはわかるがそれが人間という意味だとは思えない。

人と人の間には何があるだろうか。そこには時間と空間がある。人と人との関係を持つためには時間と空間という狭間を補う必要があり、それが言葉や文字、そして通信手段が生まれ、現在のデジタル通信まで発達したのだ。

 

つながり疲れという現象

 

人は、支え合う、つながると気持ちがあって人間関係が成り立つのだが、そのような気持ちがなくてもつながっている状態が現状である。

「つながり疲れ」という言葉も聞こえるようになり、人間関係で疲れを覚えている人は多くなってきている。人間関係はなぜ疲れるのだろうか。

それは人それぞれがみな違うということに他ならない。シンプルに考えると当たり前のことなのだが、共感できる部分だけでのつながりから全体へのつながりへといとも簡単に移ってしまうのだ。

人間関係にゆとりを持つためには、自らつながりを持つ手を広げてはならない。つまり自分の情報をむやみやたらと公開しないことだ。もしくは自分には欠かすことのできないことだけに絞って目的を持ってつながるようにすべきだろう。

 

シンプルライフの時間と人間関係は自分らしさから

 

時間のゆとりは一定の時間にやることを詰め込みすぎないことが大切である。ただ一定の時間といってもひとそれぞれ幅がある。同じ1時間でも時計が示す1時間と人それぞれが考える1時間は違う。正しくは1時間くらいであって、その幅が時間のゆとりとなる。シンプルライフでは自分の時間感覚を大切にしながら、他の人と時間を共有すべきだろう。

 

人間関係のゆとりは自分と他者との関係の数だけを考えればよいのではない。太く長く多くという人間関係を持てる人は少ない。シンプルライフで心がけるのは人間関係の数である。かつての人間関係は共有する空間と時間に比例ていたが、現在の人間関係は空間と時間を超越している。細い人間関係は否が応でも自分の周りに広がり増えていく。そのような環境の中では太く長い人間関係と細く多い人間関係は区別すべきなのだ。

(つづく)