「ながらすたいる」は仕事と生活をバランスを考えた「ワーク・ライフ・バランス」とは違います。「ワーク・ライフ・バランス」は「ながらすたいる」の一部です。「ながらすたいる」は「仕事をしながら、生活をしながら、他のこともしながら、人生を楽しむためのライフスタイル」です。
頑張らない生き方
「ワーク・ライフ・バランス」を「仕事と生活の調和」とするならば「バランス」と「調和」から受けるイメージは異なります。私が「バランス」から受けるイメージは「均衡・釣り合っている状態」をイメージし、両方ともうまくやることを考えてしまいます。「調和」から受けるイメージは「ほどよく釣り合って・全体としてまとまっている状態」です。
たしかに私も40代まではあれもこれもうまくやろうと考えて肉体的・精神的・時間的にも頑張っていました。両親の介護が始まると「仕事と生活と介護」を最初のうちは頑張ってこなしていましたが・・・。数年後には肉体的・精神的・時間的に限界になり、経済的にも人間関係にも荒んで最後には心が折れました。
たった10年前の話ですが、現在のように介護休暇もなく介護施設も整ってはいなかったのも一因ですが、なにより自分の心にゆとりがなくなったことがすべてうまくいかなくなった原因だと思っています。子供の頃から頑張れ頑張れと育てられ、やればできると煽てられて大人になった結果で、自分らしさがなかったと今では思っています。
心が折れたときに脳裏を過ぎったのがこのままでは死んでしまうのではないかということでした。悶々とした日々が数日、数週間が過ぎ、頑張らないためにはどうすればよいか考えました。そして意識しなくても頑張らないようにできるまでには数ヵ月かかりました。
なにごとも健康でなければなにもできない、頭だけで理解するのではなく無意識に健康を意識できるようになりました。
健康とは病気でないこと?
「健康」であることを説明するのはとても難しいことです。
WHO憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。
"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
健康を意味する「health(ヘルス)」は病気による虚弱な状態の反意語として使われています。実際に私達も病気でなければ健康だと信じていますし、健康が正常な状態だと思っているのではないでしょうか。たとえ不健康な生活をしていても、慢性的な症状を持っていても病院の世話にならなければ健康だと思っています。
健康と病気の間には明確な境目はありません。つまり健康な状態から病気の状態までは同じ線上にあると考えることができます。私は若いときに患った病気が慢性化しているので、健康状態が良いと言っても健常な人の健康状態とはずっと異なっていました。
私が心がけていたのは、最高の健康状態ではなく体調(体の状態)を健康の方向にベクトルを向けることでした。それも「頑張らず、無理せず、我慢せず」に無意識で行う習慣にまでなるようにです。このような習慣が少しずつ身につくと体調も良くなり、精神的にも安定し、折れた心も元通りか、少し違った意味で以前よりも良好になったかもしれません。
私にとっての健康とは最高の体調ではなく最善の状態と考え、現在に至っています。
マイ・ウェルネス
健康を表す単語には「health(ヘルス)」が一般的でしたが、徐々に健康を促進するという意味で「wellness(ウェルネス)」という単語が使われるようになりました。近年では「well-being(ウェルビーイング)」という健康で幸福な状態を意味する単語も使われています。
私にとっての健康は固定的な状態ではなく常に動的なベクトル状態ですので「健康=ウェルネス」だと考えています。また私にとっての健康(マイ・ウェルネス)が他の人にとっても「健康な状態」だとは思いません。健康な状態は人によって異なり、健康へのアプローチであるウェルネスも異なります。
私の健康(マイ・ウェルネス)を考えるときに「3×3」で考えています。最初の「3」は「体・頭・心」で、次の「3」は「栄養・運動・休養」です。これをマトリックスにしてマイ・ウェルネスを心がけています。
私にとってのマイ・ウェルネスは他の人にとってのマイ・ウェルネスと異なりますが、
このマトリックスは使えると思います。