ニューノーマル時代の皆と自分

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新型コロナ禍も2021年中には落ち着きそうな気配である。落ち着くからと言って終息したのではなく、収束するだろうということだ(同音異義語は難しい)。新型コロナを機に新しい生活様式(ニューノーマル)が話題にのぼるものの人によって解釈の仕方が異なる。

 

リーマンショック後のニューノーマル

 

2008年に起きたリーマンショック後の金融危機に際して、アメリカで「経済は新たな基準で生まれ変わる」という考えが生まれた。これが「ニューノーマル」であり、現在の経済対策にまで脈々と続いている。

世界各国の経済成長を横目に見ながら、日本だけが取り残されているという論調も新型コロナ前までは多かった。ところが2020年末からの株高は、いくらお金が余っているからと言っても日本経済の底力を無視しては語れない。

リーマンショック後のニューノーマルは新型コロナを迎えてひと皮むけたのかもしれない。

 

新型コロナ対策としてのニューノーマル

 

新型コロナ禍のニューノーマルは「三密避けて、マスク・手洗い・消毒」が合言葉になっている。ソーシャルディスタンスを社会的距離と使う人もいるが、意味が分かればどちらでもよい。要するに「うつらない・うつさない」がニューノーマルの基本である。

日本人の国民性は集団心理に同調しやすいという特徴がある。良くも悪くも当たっている。自分がいて皆がいるではなく、皆がいて自分がいるという考えだ。だから日常会話でも「みんな」とよく使う。皆、言ってる、皆、持ってるなどなど、そんな訳がない。

新型コロナ禍でのニューノーマルは「皆、やってる」ということだったのだ。

 

働き方改革の延長線上でのニューノーマル

 

新型コロナ禍のニューノーマルに在宅ワークがある。働き方改革が遅々として進まなかったのが嘘のように在宅ワークを取り入れる企業が多くなった。ワクチン接種が進めば在宅ワークも縮小するだろう。なぜなら皆がいる職場で働くのが仕事だからだ。

仕事の本質ではなく形式化した仕事を行うには在宅ワークは不向きである。逆に形式化しなければならない仕事、専門の施設や現場でなければ仕事ができない人もいる。仕事の本質が理解できれば、場所は二次的な問題になるはずだ。

在宅ワークは適材適所の「所」を場所と読みかえて考えればよいだけの話なのだ。

 

 

新型コロナ後を見据えたニューノーマル

 

ワクチン接種が順調に進めば2021年中には社会は新しい局面を迎える。新しい局面とは元の社会に戻るという後退を意味するものではない。いつになったらマスクをしなくてもよくなるのだろうという意味ならあと1年は待たなければならないだろう。

感染症は新型コロナだけではない。巷にはインフルエンザウィルスもノロウィルスもいる。新型コロナ対策を行ったことで他の感染症にかかる人が少なくなっている。この現象をウィルス干渉だという説もあるが、そうならばワクチンのある感染症はワクチン接種を怠ってはいけない。

 

ニューノーマルは時代とともに変わる

 

新型コロナ後のニューノーマルはなにもかにも新しくなるということではない。ただ過去を振り返れば、家電の三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)から新家電の三種の神器(カラーテレビ・クーラー・自動車)と変わるまでに時間はかからなかった。

今ではこれらは「スマホ動画・オートエアコン・自動運転」に変わっている。いつの時代にも変わることを拒む人がいる。そういう人も「皆」が変われば変わるものだ。ひと皮むけたニューノーマルはすぐそこまで来ている。

 

新型コロナ後のニューノーマルは「自分と皆」という社会

 

社会は「自分と皆」でできている。比べるのではなく、上手に付き合うことが大切なのだ。